底辺パチカスの日常

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    〈ニュース〉消費者庁がクレーマー対策に動き出す!


    消費者庁(しょうひしゃちょう、英: Consumer Affairs Agency、略称: CAA)は、日本の行政機関のひとつ。消費者に関する行政および消費生活に密接に関連する物資の品質表示に関する事務を行うことを目的として設置された内閣府の外局である。 消費者庁は、消費者
    40キロバイト (4,934 語) - 2021年8月26日 (木) 17:07


    大変な仕事だろうけど、頑張ってほしいですね!

    国民生活センターはこのほど、2020年度に全国の消費生活センターなどに寄せられた相談件数が、前年度とほぼ同数の93万9343件だったと発表した。単純計算すると、1日当たり2600件ほどだ。

    これだけ多いと、暴言を吐いて職員を困らせるような相談者も出てくる。現場では今、「クレーマー(対応困難者)」対応によるスタッフの疲弊が問題視されている。中には休職や退職に追い込まれる事例もあるという。

    消費者庁も看過できなくなり、今年度からはマニュアルをつくり、各センターなどで活用しているという。

    消費者庁の担当者は、「相談者の怒りや憤りを受け止めることも相談員の役割だが、社会通念を逸脱した要求等には何らかの対処が必要となることも事実」と作成の意図を説明する。

    「お前と呼ぶのはやめてください」「電話切っても良い」

    消費者庁の委託を受けた「全国消費生活相談員協会」は作成に当たり、2020年7月から有識者による検討会を7回開催した。完成したマニュアルには、次のような記述がある。

    ≪どれ程説明しても平行線をたどり、暴言を吐く相談者(=対応困難者)がいます。公共財である消費生活センター(相談員)が、一人の対応困難者に独占され、相談員の疲弊により消費生活相談が機能不全に陥る可能性があります≫

    当然だが、消費生活センターにも対応できること、できないことがある。にもかかわらず、自分の期待する答えが返ってこないと、怒りの矛先を相談員にも向けてしまうクレーマーがいる。特にコロナ禍でのストレスの高まりもあってか、こうした電話が増えたという。

    マニュアルでは、「罵詈雑言が始まったら、『お前と呼ぶのはやめてください』等、相談者の言動を制止し、それでもやめなければ相談を終了します」など、具体的な対応や基準についても記載。メンタルヘルスへの配慮や組織としての対応法などについてもページを割いた。

    「相談員ごとにバラバラに対応していた事案について、統一的に対応できるようになった、など好評の声をいただくことが多いです」(消費者庁

    「顧客至上主義」は民間だけじゃない

    近年、「カスタマーハラスメントカスハラ )」という言葉がよく聞かれるようになった。客からの暴言や暴力などを指すものだが、背景には「顧客至上主義」があることも指摘されている。「自分のことを神様だと思っている勘違い客」が少なくないということだ。

    この点は行政サービスにも共通点がある。対人の窓口は基本的に「住民ファースト」だ。民間にはできないことも求められるし、不親切であればメディアから批判される。一方、住民は「出資者」でもあるから、行政への期待は高く、言動がエスカレートしかねない。役所で住民が「お客様」と呼ばれることも珍しくなく、これもカスハラの一種と言えるだろう。

    前述のマニュアルにも次のような記述がある。

    ≪消費者保護に係る法制度の整備等により消費者の権利意識が高まるなかで、顧客至上主義の考え方が一部に誤解をされて受け止められたことが背景にあると思われます。また、格差社会ストレス社会といわれる社会状況は、不満が爆発しやすい環境ともいえます≫

    カスハラへの対策は働く人を守る反面、客側を萎縮させたり、保護を弱めたりする方向に働く可能性もある。それゆえ、消費者庁カスハラ対策にはこれまで積極的ではなかったとされる。その消費者庁が一部の相談について、もはや相談員への暴力であると明言したことが被害の深刻さを物語っている。

    国民は神様なの? 消費生活センターが暴言被害、モンスタークレーマーの歪んだ権利意識


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    〈ニュース〉医療崩壊目前!菅総理から野戦病院発言


    野外病院(やがいびょういん)とは、負傷者を野外で治療する大規模な移動式救護施設のこと。戦場・戦時における野外病院野戦病院(やせんびょういん)とよばれる。 標準的な構成の野外病院は医療スタッフ、持ち運び可能な救急キット、ならびに大型テントが主要装備で、路上や荒野においても設置可能である。
    12キロバイト (1,855 語) - 2021年5月20日 (木) 13:51


    マジレスです

    (作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

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     急激な新型コロナウイルスの感染拡大で、大規模イベント会場や体育館を利用した臨時の医療施設の設置を求める声が上がっている。広いスペースベッドを並べることで、集中的に医療を提供できる場所を確保することを目的として、これをメディアは「野戦病院」と表現して伝えている。18日には日本医師会の中川俊男会長が記者会見で言及し、同じ日に関西経済連合会の松本正義会長が提言書をまとめたことを公表。閣僚からも関連する発言が相次ぎ、そして25日に緊急事態宣言の対象地域の拡大を決定したあとの記者会見で、菅義偉首相が自ら「今回の感染拡大に際し、いわゆる野戦病院をつくるべきだ、こうした多くの指摘を頂いております」と明言してのけた。

     これを受けて勢いづいたようにメディアは連日連呼するが、この「野戦病院」という表現があまりに不適切で、強烈な違和感と嫌悪感を覚えるどころか、日本の首相の発言としては、無知をさらけ出して余りある。

    菅首相の「野戦病院」のイメージは適切か

     菅首相は「いわゆる野戦病院」という言い方をしているから、「野戦病院」と言ったときには、そのものに対する共通の認識が抱けるものと信じている。言い換えれば、相手の想像と認識に委ねるあまりに曖昧で無責任な伝達方法だ。そこで菅首相がなにをイメージして「いわゆる野戦病院」と言ったか、まったくわからないが、私がそこからイメージするもの、というより私の知る現実の「野戦病院」についてまずは確認しておく。

     この夏は終戦から76年にあたる。私は16年前の戦後60年の夏に、太平洋戦争で戦地に送られながら終戦後も復員を拒んで現地に留まって暮らした元日本兵を東南アジアに訪ねてまわった。なぜ、日本へ帰らなかったのか、その理由を知りたかったからだ。旅の記録は拙著『帰還せず 残留日本兵六〇年目の証言』(小学館文庫)にまとめているが、そのうちのひとりに、中国を転戦して最後はインパール作戦に従軍した衛生兵がいた。

     インパール作戦には日本陸軍の3つの師団が動員されたが、インドの要衝インパールを目指したのは第15師団と第33師団だった。彼が所属していた第31師団はインパールより北に位置するコヒマを攻めた。だから「インパール作戦」と言われても、彼にはピンとこなかった。それに作戦を開始した直後に、彼は負傷して前線を退いている。

     作戦開始から6日目。衛生兵として戦闘を注視していると、背後で大きな爆発が起きた。おそらくは敵の迫撃砲だろう。それで身体が前に大きく吹き飛ばされると、熱い痺れのようなものが、負傷した首と腰から全身に広がって動けなくなった。顔見知りの衛生兵が駆け寄って処置してくれたが、その相手の頭にも包帯が巻かれて血が滲んでいた。

     彼はそこから自力で密林のなかを一昼夜さまよって後方の収容所に辿り着くと、トラックで病院に運ばれることになった。ところが、その荷台に揺られていると敵機の急襲を受ける。咄嗟にトラックから逃げて回避したところで、もう身体が動かない。再び荷台に戻されるとそのまま意識を失っていた。

     気が付くと、彼は「野戦病院」のベッドで横になっていた。いや、そこはお世辞にも病院と呼べるようなところではなかった。

    吹き曝しの地面に毛布を敷いて天幕を張っただけの「病院」

     寝かされていたのは、密林に覆われた山岳地帯の丘陵の斜面の一部をL字型に削り取って平らにしたところに、敵兵の残していった毛布を拾って敷いただけのところだった。上には天幕を張って、日除け雨除けにし、上空からは見えないようにカモフラージュしている。あとは吹き曝しだ。こんな「ベッド」が数個ずつジャングルの山中に点在している。これを日本軍は「病院」と呼んでいたのだった。

     彼が寝かせられたところは、3人が一緒だった。しかし、医者も衛生兵も誰も来なかった。介護にも診察にも来た記憶がない。そのうちに、隣に寝ていた兵隊が死んでいった。声すら出さずに、静かに死んでいった。気が付くと死んでいた。

     それから、もう反対側の隣にいた負傷兵が死んだ。

    「水をくれ・・・、水をくれ・・・」

     すぐ隣でそう叫びながら、死んでいった。

     山中に捨て置かれるようにして広がる日本軍の野戦病院の「病室ベッド」。ようやくにして辿り着いたこんな場所で、たった1人残された彼自身も、容態の変化に気付いていた。そして「次は自分の番だ、次は自分の番だ」と心の中で叫びつつ、いつしか意識が遠のいていったという。

     幸いにして、彼がそこで死ぬことはなかった。奇跡的に体力で持ち堪えたと言っていい。そこへ独断で撤退をはじめた佐藤幸徳中将の率いる第31師団がやって来た。傷ついた衛生兵は本隊に合流して後退をはじめる。そこからの餓えと病魔で多くの兵隊が命を奪われた『白骨街道』とも呼ばれる悲惨な道すがらは、史実にあるとおりだ。

    やっとの思いで辿り着いた「野戦病院」に広がっていたのは廃墟とおびただしい数の死体

     インパール作戦で敗走をはじめた別の日本兵は、マラリアに冒されていた。もう少し行ったところに「野戦病院」があると聞いて、それを頼りにしていた。ところが、辿り着いた「野戦病院」という場所には、廃墟に死体しか横たわっていなかったという。

    「『天皇陛下万歳!』なんて言って死んでいく者なんて、ひとりもいませんでしたよ」

     生き延びた衛生兵が戦後60年にあたる当時、私にそう語って聞かせてくれた。

    「なんなのでしょうね、よく映画を見たりすると、必ず日本兵は『天皇陛下万歳!』と言って死んでいく。どうしてあんなことになるのか・・・? まず、そんなことはありませんでした」

     その顔には苦笑が浮んでいた。その次の瞬間、語気を強めて、

    「私は聞いたことがない!」

     そう言ったかと思えば、思い出したようにこう続けた。

    「みんな最期になると、妻の名前を言ったり、子どもの名前を言ったり、それはありました。親のことを呼ぶ人もいましたし、思い出すんでしょうね・・・。衛生兵として、最期を看取ることもあって、知りました。・・・やりきれないですよね、・・・気の毒ですよ」

     衛生兵の宿命として、多くの死を見届けて来なければならなかった。

    「大概は『水をくれ』と言って死んでいく、そういう人は少なくはありませんでした・・・」

     その1人が山中のベッドの隣で死んでいった同胞だった。

    救える命も救えないのが「野戦病院」の現実

    「いわゆる野戦病院」といわれると、私の頭の中には元日本兵が語った事実が思い浮かぶ。そこは安寧の場所でもなければ、より死と隣り合わせであることを意味付ける。医療資源の絶対的な不足から、救える命も救えなかった場所だ。

     それはもっと違ったところで、原爆の投下された直後の広島の医療現場はどうだっただろうか。都市が消滅した片隅で、酷い火傷を負った市民が横たわった場所。あれも野戦病院と呼ばれるべき場所だ。

     たとえば、広くて天井が高い建築物の空間の中に、ベッドだけが整然と並べられて、その間を白衣の天使のような女性看護師が往来している場所を「野戦病院」とイメージしているのだとしたら、まったくの的外れだ。それは遙か後方の傷病兵の医療施設であって、野戦病院とは言わない。それを野戦病院だと信じているのなら、おとぎ話の世界だ。勝手な思い込みメディアがミスリードしている。史実を歪めている。日本人は誰もが「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいくものだというように。

     ましてや、8月15日の終戦の日に靖国神社に玉串料を納めたばかりの現職の首相が、臨時に設置する医療施設を「いわゆる野戦病院」と国民に呼びかけることには、あきれ果ててむしろ憤りさえ覚える。実態はもっと壮絶な場所だ。そこで失われた尊い命も多い。それでも魂だけは祖国に帰れると信じた。その御霊が招魂されて、家族や戦友に再会できると信じて彼らは戦い、命尽きた。もはや戦没者を冒涜している。

     そんな軽口を叩くような調子だからこそ、新型コロナ対策もうまくいかないのだろう。国民の命と健康を守ると豪語するには程遠い。

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    1944年5月、ニューギニア島ホーランジアの米軍の「野戦病院」。手当てを受けているのは負傷した日本兵。米軍の野戦病院でこの状態、日本のそれはさらに劣悪な状況だった(写真:AP/アフロ)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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